地方色豊かなカーニバル

「ファッシング」、「ファスナハト」あるいは「カーニバル」は、特にラインラント地方やドイツの中でもカトリックの影響が強い地方の古い風習です。その中心地はマインツ、ケルン、デュッセルドルフ、ボンです。南ドイツではアレマン地方の伝統的ファスネットを祝います。この「5つ目の季節」は 11月11日に始まり、灰の水曜日に終わります。お祭りの騒ぎがハイライトを迎えるのはいわゆる「汚れた木曜日」から灰の水曜日 (Aschenmittwoch)までの週です。バラの月曜日(Rosenmontag)には大規模なパレードが行われ、愉快な仮装をしたり、伝統的な民族衣装や仮面をつけてパーティーやパレードを楽しみます。この伝統の起源は冬を追い払う古い風習です。

ケルンのファステルオーヴェンド(カーニバルの夜) ‐「アラァーフ」

Weiberfastnacht in Koeln 画像を拡大 (© picture alliance / dpa) 特にライン地方で行われる形のファストナハトはカーニバル(おそらく中世ラテン語のcarnelevare「肉よさらば」 に由来)と呼ばれてます。ケルンでは1823年2月10日に「祝祭管理委員会」が設立され、独特のカーニバルのスタイルが確立されました。カーニバル特有の軍服風の衣装や、護衛部隊、軍服を着て歌い踊る一団はナポレオン時代の護衛部隊に遡るものです。ケルンのカーニバルは伝統的に11月11日の11時11分に始まります。カーニバルのハイライトはビュッテンレーデという演説が行われる数多くのパーティーのほかに灰の水曜日の前の木曜日に行われる女性のファストナハト(方言でヴィーバーファステルオーヴェント)があり、屋外でのカーニバルのハイライトとしてはバラの月曜日のパレード、等身大の藁人形が焼かれるスミレの火曜日があります。

デュッセルドルフのカーニバル「へラゥ!」

デュッセルドルフのカーニバルの起源は中世の騎士の競技や宮廷での仮装パーティーです。デュッセルドルフのイェッケたちが崇拝するのはホッぺディッツと呼ばれる典型的な宮廷道化師です。毎年11月11日11時11分に市役所の前でホッぺディッツが目を覚まし、カーニバルのシーズンが開幕します。デュッセルドルフのカーニバルの最初のハイライトは元旦にやってきます。というのはこの日にそのシーズンのカーニバルの王子と王女が選ばれるからです。1825年には、デュッセルドルフ市で最初の王子が選ばれています。この他のハイライトは、“Möhnen“ (老女たち)が市役所を襲うアルトヴァイバー・ファストナハトやカーニバルの日曜日とバラの月曜日に行われるパレードです。そうするとまた”D'r Zog kütt!“(パレードがやってくる!)となるのです。


狂騒の日々-マインツのファセナハト

マインツのファストナハトの長い伝統は羽目をはずしたお祭りが初めて行われた16世紀にさかのぼります。19世紀には最初のファストナハト協会が設立されました。1838年にはマインツ・カーニバル協会(MCV)が創設され、雑多で放埓な祭りに秩序と美的な形を与えました。昔からMCVには軍服を着た護衛部隊があります。マインツの「5つ目の季節」は、11月11日の11時11分に、ファストナハトの11のきまりが読み上げられて始まります。このほかのハイライトはバラの月曜日のパレード、ファストナハトの土曜に行われる青少年の仮面パレードや、元旦の道化師パレードが終わるとはじまるたくさんのファストナハトの集会イベントなどです。

シュヴァーベン・アレマン・ファスネット‐ 「ナリ‐ナロ!」

Rottweiler Narrensprung 画像を拡大 (© picture-alliance / dpa) 恐怖をさそう悪魔、恐ろしげな魔女、ひょうきんな道化たちが、ドイツ南西部シュヴァーベン・アレマン地方のファストナハトに繰り出します。パレードの際には数千人が仮面をかぶり、すさまじい音で鈴や太鼓を鳴らして町を練り歩き、これは夜にも及ぶ事があります。

シュヴァーベン・アレマン・ファスネットとは、南西ドイツのファストナハトの風習を指しています。シュヴァーベン・アレマン地方のファスネットの起源も、中世のお祭りにあり、当時は断食期間の開始前に、傷みやすい食品を使い切る必要があったのです。14世紀には、踊りやパレード、ファストナハツシュピール(謝肉祭劇)がこれに加わりました。17世紀のバロック時代には、シンプルなファストナハトの仮装が評価されるようになりました。啓蒙主義に影響され、一時は下火になりましたが、この伝統は19世紀初頭に再び盛り返しました。

インテリ市民層が支配的なラインラント地方のカーニバルと一線を画すため、シュヴァーベン・アレマン地方のファストナハトは、伝えられてきた伝統に立ち戻りました。灰の水曜日前の3日間に限られていた開催期間は、19世紀に拡大され、多くの地域で、ファスネットは公現節に始まるようになりました。1924年には、シュヴァーベン・アレマン道化組合連合(VSAN)が設立されました。シュヴァーベン・アレマン地方のファスネットの特色は、ファスネットの登場人物たちです。そのシェメン(仮面)はほとんどが木製で、中には布や紙のものや、針金製さえあります。その中で最も古くからある登場人物は、悪魔と道化です。1933年には、オッフェンブルクで魔女の組合が創設され、シュヴァーベン・アレマン地方のファスネットに、新しい登場人物をもたらしました。シュヴァーベン・アレマン地方のファストナハトには特に厳しい決まりがあって、参加できるのは最低15年在住の市民に限られます。仮面や衣装は、ケルンやマインツのカーニバルとは異なり、歴史に根ざした条件に合っていなくてはなりません。そのため、それぞれの道化組合の仮面は、何世代にもわたって受け継がれています。

チューリンゲン地方のカーニバル「ヴェーズィンゲ アホイ!」

南チューリンゲンのヴェラ河畔にあるヴァーズンゲンはドイツで最も古いカーニヴァルの地のひとつとされています。この地でカーニバルが発祥したのは1524年と言われています。ヴァーズンゲン地方でカーニバルを支える人々はこの地のカーニバルの独自性を数百年にわたり守ってきました。ここでは王子・王女ではなく、2人の侍女を従えた王子が登場します。王子の治世は、カーニバルの土曜から11月11日までです。ヴァーズンゲンでのハイライトは、灰の水曜日の前の日曜に行われる華麗な時代行列で、このパレードは現在までこの地の習俗を伝えていることで特に有名です。

ソルビア地方のカーニバル

ドイツ東部の少数民族ソルブ人の独自の風習を持っています。冬を追い出すため、騒々しい音を立てながら村の中をねり歩く、この仮想した集団は、村はずれまで行進する間、農家一軒一軒の前で止まり、ベーコンや卵、お金などを恵んでもらいます。施しの返礼として、農家の主人には焼酎をご馳走し、おかみさんとはダンスを踊ります。これはスラブ民族のカーニバルの古い風習で、「ツァムペルン」とよばれます。ブランデンブルク州コトブスのソルビア文化情報財団のミレーナ・シュトックさんによれば、ドイツ東部のニーダーラゥジッツ地方の多くの村では今もこの風習が根強く残っています。

With music and dancing, Sorbs parade through the streets. 画像を拡大 (© picture-alliance/ dpa/dpaweb) ソルブ人は、約
1500年前からラウジッツ地方に住み、スラブ系民族として最も数の少ないこの民族で、ドイツに住む4つの少数民族のひとつです。ブランデンブル州南部と、ザクセン州東部には、推定6万人のソルブ人が住み、その独自の言語と多彩な習俗はこの地域に影響を与えてきました。少数民族の組織や協会には、この二つの州および国の予算から補助金が支払われます。2007年に財団はソルブ民族のため約1560万ユーロを支出することができました。

ツァムペルン、あるいはハイシェの行進(ハイシェンとは、ねだる、物乞いするという意味)は、ニーダーソルビア地方のカーニバルであるツァプストの行事の一部です。この愉快な祭りは毎年
1月半ばから3月はじめの週末に行われます。ミレーナ・シュトックさんは「この民族信仰の祭りは、キリスト教の断食期間とは一致しません」と言います。祭りのパレードも、ツァプストの行事のひとつで、娘達はソルビアの民族衣装を着て、男性は民族衣装のスーツ姿で、村長、牧師、職人など、村の功労者を訪問します。愉快な祭りの終わりには、卵料理を食べるため、皆でレストランに集まります。ツァムペルンで集めたベーコンと卵はスクランブルドエッグにしてふるまわれます。

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Karneval in Rio de Janeiro

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